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京都地方裁判所 昭和45年(わ)1188号 判決 1971年10月15日

主文

被告人を禁錮六月に処する。

但し、この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和二六年京都市交通局に入り、市電車掌を経て、昭和四三年四月三日大阪陸運局より乙種電気車運転免許を取得して以来、路面電車運転の業務に従事していたものであるが、昭和四四年一〇月二八日午後四時二五分ころ、京都市電(車両番号第五三六号)を運転し、京都市上京区河原町今出川の交通整理の行なわれている交差点を西方から東方に向つて直進しようとしたところ、当時、自車の前方同一軌道上に自車と同様東方に向つて直進しようとする祇園行市電一台が信号待ち停止中であり、自車後方の同一軌道上にも二台の市電が追従してきていたので、いつたん右祇園行市電後方に停止し、その後右先行車が発進したのに続いて自車を発進、進行させ同交差点西端に設けられた第一停止線付近まで徐行したのであるが、前記のような市電のいわゆる団子運転を解消するためには、かねて上司から指示されていたいわゆる一信一車(信号の一周期に車両一台通過の意)の原則に従わず、右先行者車と同一信号で同交差点を直進通過することもやむを得ないと決意し、同車が祇園行市電であり自車と同じく東進することを熟知していたのでこれに追随して、自車を発進・進行させたのであるが、同交差点の市電軌道は直進(東進)と右折(南進)とに分岐していて、同交差点北西角に設置された市電方向表示機(誘導信号)は周期的に直方向点灯・消灯・曲方向点灯の作動を繰り返しているところ、同交差点を東進しようとする市電が前記第一停止線でいつたん停止し、前記方向表示機が直方向に点灯するのを待つて出発・進行すれば、同市電前輪が前記第一停止線の約二メートル西方に設けられた絶縁区間(以下、便宜第一絶縁区間と称する。)を通過することによつて同交差点のポイントは直方向に固定され、前記方向表示機もこれに連動して直方向点灯に固定し、その後同車後輪が第一絶縁区間の約一八メートル東方に設けられた絶縁区間(以下便宜、第二絶縁区間と称する。)を通過してはじめて前記方向表示機は再び前記周期的作動を開始するが、該表示機は約6.1秒から同市電前輪が第一絶縁区間を通過することによつて、直方向点灯開始後同区間を通過するのに要した時間を差引いた残時間直方向点灯を続け(ただし、右通過所要時間が約五秒の場合には、直方向点灯はなく、直ちに消灯する。)ポイントは直方向に固定されるにすぎず、従つて、直進する先行車と同一信号でこれに追随して同交差点を直進通過しようとする場合、同車がかりに前記第一停止線で、いつたん停止中前記方向表示機の直方向点灯により直ちに発進態勢に入つたとしても、第一絶縁区間を通過するには約三ないし四秒間を要し、従つて同車が第二絶縁区間を通過後、パイントは約二ないし三秒間直方向に固定されているにすぎないのであるから、前記残時間経過によつて前記方向表示機の直方向点灯が消灯後約1.3ないし約1.5秒間ポイントは直方向を持続し(しかし、固定されず、不安定である。)また先行車との追突の危険を避けるにしても、第一絶縁区間と第二絶縁区間の距離は約一八メートルであり、追随車先端から前輪車軸までの長さと、先行車後端から後輪車軸までの長さとは各約2.5メートルであることおよび右追随車の発進、進行にも約三ないし約四秒間を要することを考慮すると、先行車との車間距離を約一〇メートル、長くてせいぜい約一五メートルにとつて第一絶縁区間を通過しうるように発進しなければならないのであるが、みずからも、経験豊富な市電運転者がやむなく先行車と同一信号でこれに追随直進して前記交差点を通過する場合、先行車との車間距離を右のようにとつて第一停止線を発進していることをかねて知つていたのであるから、市電運転者として、前記のように祇園行直進先行車と同一信号でこれに追随、直進しようとする場合、同車との車間距離を右のようにとつて自車を発進・進行させるべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、折りから直進する前記先行車との車間距離が実際は約二二メートルもあつたのに、その距離目測を誤り約一〇ないし一五メートルであると軽信して自車を第一絶縁区間を通過し、発進、進行させた過失により、すでにポイントの直方向時間が過ぎ、これが右折に変つていたため、同交差点の南行市電軌道内に進入するに至らせて折りから同交差点を東方から西方へ対向直進して来た藤沢賢一運転の京都市電(車両番号一八二二号)右側前部に自車右前部を衝突させ、よつて別表記載のとおり自車の車掌及び両車双方の乗客等四〇名に対し、各傷害を負わせたものである。

(証拠の標目)<省略>

(主たる訴因に対する判断)

検察官は、主たる訴因において、被告人は「第一停止線で一時停止したうえ、市電方向指示機(誘導信号)が自車の進行方向(直進)可を表示するのを待つて発進し、さらに約四メートル前方に設けられた第二停止線で再度停止して、同交差点の対面の交通信号の表示に従つて進行すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、右第一停止線の手前で一時停止したが、右市電方向指示機が既に右折可を表示しているのにこれに気付かないまま漫然発進し、しかも右第二停止線で停止せず、市電方向表示機の表示を確認しないまま時速約五キロメートルで進行した過失)がある旨主張する。しかしながら、前掲各証拠によれば、主たる訴因にいう注意義務が基本的には存在し、被告人もこれを熟知していたものの、同時に経験豊富な市電運転者において交差点付近におけるいわゆる団子運転等を解消、緩和するためにはやむなく直進先行車と同一信号でこれに追随して交差点を直進通過する運転方法がとられ、これによつても事故を惹起していないことを知り、かつ、市交通局当局も右のような運転方法を黙認していた事実を認めることができる。そうだとすると、被告人はおいて、判示のように本件交差点付近において、当時市電多数が近接して存在してしたことを知り、これを解消、緩和するため前記一信一車の原則によらず先行車と同一信号でこれに追随発進するもやむを得ないのであつて、しかもこの方法によるときは主たる訴因にいうように「第二停止線で再度停止」することなく、前記のような車間距離をとつて先行車両に追随すればその間にポイントが右折にかわることはないものと信じていたものと考えるほかなく、従つて、折りからの西行直進市電と衝突することまでもとうてい予見し得なかつたものというほかはない。以上の次第であつて、本件において、被告人に対し、主たる訴因にいうような注意義務を怠つた過失による罪責を負わせることはできないというべきである。しかし、前掲各証拠によれば、被告人には、予備的訴因にいうような注意義務があり、これを怠つた過失による罪責を負うべきことが優に認められる。結局被告人は、判示のとおり、予備的訴因について有罪であつて、業務上過失傷害罪の刑責は免れない。

(法令の適用ならびに量刑理由)

被告人の判示所為は刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するが、右は一個の行為で四〇個の罪名に触れる場合であるから同法五四条一項前段、一〇条により犯情の最も重い青山富枝に対する業務上過失傷害罪の刑で処断することとし、刑を考えるに、被告人は多数の乗客の安全をあずかる市電運転者として一信一車に従わない場合に遵守すべき注意義務を怠り、これがため自車と対向車との乗客多数に重軽傷を与えたものであるから、かつて市電乗務員として犯した交通事故による前科が二回あることをもあわせ考えると、本件が職務中の事故であり、被告人の身分が地方公務員であることをしん酌しても、所定刑中禁錮刑を選択しその所定刑期の範囲内で被告人を禁錮六月に処するのが相当と認めるが、他面、本件顕出関係証拠によると、近年の京都市内の交通事情にかんがみるとき、前記一信一車の原則に従い難い場合があることは否定できないが、市交通局としても、市電運転者らに対し右の場合に即応し得るよう指導監督すべきであつたにかかわらず、これについて遺憾な点があつたことも否定できないし、被告人は本件事故について深く反省しているところであり、市交通局と本件被害者との間で示談が順調に進行していることおよびその他諸般の事情を考慮すると、同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。なお訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項本文を適用して、全部これを被告人に負担させる。

よつて主文のとおり判決する。

(吉川寛吾)

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